現代芸術って、なんで見なきゃいけないの?
Day15
授業初日です。
Module title(課目名)は
Research Methods in the Arts:
Reflecting Practice
どんな内容かというと…えーと…うーんと…な感じです。
そもそも「Reflecting Practice」の意味がわからない><;
自分の作品や研究をより良いものにするために、他の作品や研究を批判的論理的に分析するための方法を学ぶ授業のようなのですが…大学で心理学をやってた私には、こういうことが全く分からないんですよねえ。どうも芸術系の学部にいた人は慣れているよう。
Module titleの意味がわからなくても、なんとなく授業にはついていくことができ、オリエンテーションの一環で行った美術館テートモダンに関してのクラスメイト達の意見のぶつかり合いをハラハラしつつも楽しむことができました。
テートモダンでどれが一番好きな作品かで盛り上がれる人たちと、
テートモダンでどれが一番嫌いな作品かで盛り上がれる人たちに分かれるんですよね。
すごくシンプルに言えば、現代芸術が好きな人たちと嫌いな人たちです。
私もどちらかといえば後者。
私にとって現代芸術の多くは眠くなるか、吐き気がするか。
でも、だからといって拒否するつもりもないんです。好きな現代芸術作品もあるし、吐き気がするほどイヤな作品も、そこまで感じさせるパワーがあることを無視してはいけないはず。
ドイツからきた女優さんのクラスメイトが「コンテンポラリー(現代芸術)ばかり見せられるのだと知っていたら、ここへは来ませんでした。私がやりたいのは、こういうことではありません」とはっきり言いました。「えー、それ言っちゃう?Programme Leader(学科長)の 先生の前で言っちゃう?!」と私は青ざめたのですが、先生は彼女の言い分をしっかり聞いた上で言いました。
「ある種の作品は、あなたのバリヤーを脅かしたり、あなたが快適だと思う場所からあなたをひっぱりだそうとする。でも、Confort Zone(快適な空間)から飛び出して、自分のバリヤーをゆるめないと、自分の可能性を試せないんじゃない?」
ですよねー。
と、私はすごく素直に納得してしまいました。たとえバリッバリのエンターテイメント作品を作るのだとしても、現代芸術について学ぶのは意味のあることのように思えます。
以下、テートモダンの作品の一部(キレイめの作品)
こちら↓は世界のYayoi Kusamaさんの作品!無限の水玉。無限のキラキラ。