伊藤さやかと申します。
子供の頃からミュージカルが好きで、
大の大人になった今も、なんとかミュージカルを作ろうとしています。
日本人である、
私にしか作れないミュージカルを。
子供の頃から、アンドリュー・ロイド・ウェバーの「オペラ座の怪人」をはじめとする欧米のミュージカルに憧れ続けてきました。ミュージカルが好きすぎて、中学校ではミュージカル同好会をたちあげ、高校ではミュージカルの作曲、演出、出演をするように。早稲田大学入学後もミュージカル研究会に入ったり、先輩が立ち上げた劇団に出してもらったり。念願かなっていくつかのオーディションにも受かり、プロとして舞台にたつチャンスにも恵まれました。
子供の頃から悩みの種だったアトピー性皮膚炎が悪化し、プロの役者として活動できなくなってしまった時期もありましたが、才能溢れる仲間との出会いがあり、アマチュアミュージカル劇団ZaNUKAを結成。既成ミュージカルの版権を買えるほどの予算もなかったので自分たちでミュージカルを作ったのですが、いくつものオリジナルミュージカルを作っていくことで、”日本人の日本人による日本人のためのミュージカル”とは何か、を考えるようになりました。
その答えは見出せないまま、ZaNUKAの仲間はそれぞれの道を進み、私もまた、歌の仕事を始めます。今まで以上に真剣に歌に取り組むうちに、我々日本人歌手の多くが喉を過剰に使って歌っていることに気づきました。欧米の歌手やミュージカル俳優の体全体を使う歌い方とは、明らかに発声から違うのです。そこで、思い切ってロンドンの音楽学校へ大人留学。ミュージカルやポップスの先進国と言われるイギリスで勉強してみることにしました。
とはいえ、どこからどう始めたらそんなミュージカルができるのかもわからない。そんな時、イギリスでは大学院でミュージカル作りの研究ができることがわかったんです。
ミュージカル=エンターテイメント
大学院=学術
のイメージがあって、なかなか「大学院でミュージカル作り」が想像できない私でした。しかし、実際、ロンドンのミドルセックス大学シアターアーツ科の大学院で勉強しはじめてわかりました。新しいものを作るには、すんごい才能か、地道な勉強が必要なんです。
新しいものを作ろうとする時、一番怖いのは、「私、新しいことやってる!」と言って、誰かが10年前にやっていることをやること。すんごい才能に恵まれなかった私は、それをしないために、先人の偉業を学ぶ必要がありました。
Tech Music Schoolというその音楽学校で学んだのは、歌だけではありませんでした。欧米をはじめ、世界中から集まってきた生徒たちと触れ合うことができ、実際に日本人以外の友達ができてみると、日本人である自分がミュージカルの中でアメリカ人やヨーロッパ人の真似をするのが、なんだかちょっぴり恥ずかしく思えてきてしまったのです。
金髪のカツラをかぶって手を広げて「ワンダホー」と歌ってみたりはしないまでも、日本のミュージカルは欧米のミュージカルのスタイルをコピーし、日本のミュージカル俳優たちは一生懸命、その型に自分たちをはめ込もうとして来たように思います。
「ミュージカルは西洋で発達した文化だから、しょうがないよ」という言葉も聞きましたが、しかし、日本だって神楽、能、歌舞伎と、歌や踊りやドラマのある舞台作品を作り続けてきた国。そして、それらは海外でとても注目されているのです。日本人だけでなく、欧米の人だって「おおっ」となるような新しいミュージカルが日本で生まれても不思議ではないはず!
大学院では先人について研究するだけでなく、哲学や政治、世界史や心理学の知識も要求されました。そうやって知識を積み重ね、視野を広げていくと、今まで見えなかったものが見えてきたり(あ、おばけのお話じゃないですよ)、思い浮かばなかったアイディアが出てきたりするのです。
大学院の卒業製作として、私はクラスメイトである韓国のデザイナーと組み、シェイクスピアの「The Tempest (嵐)」からインスパイアされた現代演劇「THe-TEMPEST」を作りました。デジタル技術を魔法にたとえ、現実と虚構が入り乱れる世界を、アジア的な美学をベースにして作り上げたんです。
大学院卒業後は、フランスのマルチリンガルシアター(多言語演劇)のフェスティバルにも出演することができました。様々な国から招かれたアーティストたちと、パリの地元民に愛される小さな劇場や、ヨーロッパでもトップの演劇学校フランス国立高等演劇学校で上演することで、演劇が人種や文化の壁を超えるためのツールになりうること、そして、日本人であることの強みも知ることができました。
ロンドンでもパリでも、日本文化に注目する人々の目を通して、自国の魅力を認識することができました。そして、本当の日本らしさと、うわべだけの日本っぽさ(ヨーロッパでは未だに多く見受けられます)についても考えるようになりました。それは、ヨーロッパの演劇技術を学べたことと同じくらい、もしくは、それ以上、私にとって重要なことだったと思います。
2018年3月に帰国し、今は、ヨーロッパの洗練されたテクニックと日本らしさ(日本っぽさ、じゃなく!)を融合させた、世界に通用する日本のミュージカルを作ろうとしています。
この長い長い文章を最後まで読んでくださったあなたならば、私の舞台を理解してくださるでしょう。どうか、ご協力、応援のほど、よろしくお願いいたします!